「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)

「クラシック音楽」を「第一次世界大戦」を軸に見直し、我々が「クラシック音楽」と呼ぶ存在の終点を示そうとする。戦前戦後で音楽はどう変わったか? シェーンベルク、ストラヴィンスキーの譜面に見られる「解放」とは? ベッカーやベッセラーの論文から、「クラシック音楽」の変移を読み解く。


くすぐりシーン:なし


音楽とくすぐりシーンって水と油のように合わせづらい存在なのかもしれません。
過去のくすぐり小説において、音楽とくすぐりを掛け合わせた作品、パッと思いつくのは一個しかなかった。ヘッドホンで大音量の音楽を流したまま目隠しくすぐり、というシチュエーションが、PIXIVのじゃらみさん作品に見られる。私があんまり知らないだけかも^p^

この著者のベッカー『ドイツの音楽生活』解釈によると、
「聴衆というカオスのようなマスを公衆へ作り変える」「人々を一つにする」モデルの代表がベートーヴェンの『第九』だという。
音楽が人々を統一する。
もしもそんなことが可能なのであれば、「くすぐりフェチ社会」を作り上げる洗脳音楽というネタはいけるかもしれない。
ネットで拡散する謎の音楽。聞いたものはすべからくくすぐりフェチになってしまうという。調査団は耳栓をして、発信源を突き止め、真相に迫る。という感じかしら。
チャージマン研の殺人レコードと、顔と名前を隠して捜査するデスノートを掛け合わせたような話ですね^p^

さて、本編内容について。
たしかに「第一次世界大戦」から音楽史を見直すという試みは面白いです。「第一次世界大戦」の前後で音楽の傾向が変わるというのは頷ける。
しかし、それって結局、ロマン派までの音楽を「クラシック」、印象派とか神秘主義といった現代音楽を「非クラシック」って分けただけじゃないの? って思っちゃうんですよ。
私個人の意見としては、音楽の内容で「クラシック音楽の衰退」をはかろうとするのはナンセンス。
録音機器の発展と、音の電子化によって、「音楽」そのものの価値が変化した。すなわち、特権階級でなくても自分で演奏できなくてもコンサートに行かなくてもレコードを買わなくても、個人単位で「音楽」が完結できるようになった。だからこそ、「音楽」から「特別感」「流行性」が失われ、個々人がそれぞれの好みに合わせて楽しむ「多様化」の方向に進んだのだと考えます。
「多様化」が進むと、「系譜」が分断される。「系譜」がなくなるということは、「クラシック」という流れが消失する。
だから、もしも「クラシック音楽」の終点なるものを示すのであれば、1889年ブラームスがハンガリー舞曲1番のピアノ演奏を録音した瞬間になるんじゃないかしら。

このように読了後に意見をごちゃごちゃ言いたくなる本、コスパ良くて大好きです^p^
ベッカー本とワーグナー音楽批評の比較は、新鮮で面白かったです。
『現代の芸術は産業であり、その道徳的目的は金儲け、美的口実は退屈している人々の娯楽である』


満足度:★★★☆☆


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「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)